丸山貫長(まるやま かんちょう) 略歴譜
1843年(天保14年) |
長野県安曇野市豊科の熊倉に生まれる。 |
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1851年(嘉永4年) |
江戸に出て浅草、大護院(1872年廃絶)の住職道本について書を学ぶ。 |
1858年(安政5年) |
長野県南安曇郡にあった村、西穂高村牧の真言宗満願寺で公忠和尚に従って |
1861年(文久1年) |
1879年(明治12年)までの19年間、大和の長谷寺で修学、主として塔頭(たっちゅう)寺院である能満院の海如和尚に就いて研鑽(磨き深める)する。 |
1874年(明治7年) |
長谷寺普門院の住職となり、訓導を拝命する。 |
1876年(明治9年) |
廃仏毀釈のため廃寺となった「満願寺」を再興するため、観音講社を設立する。 |
1878年(明治11年) |
大和の室生寺に入る。 |
1882年(明治15年) |
室生寺住職を拝命する。 |
1889年(明治22年) |
法隆寺にて九面観音を彫刻する。 |
1894年(明治27年) |
室生寺住職を辞し、以後10年間、大和山城の諸寺院で務める。 |
1905年(明治38年) |
大蔵寺住職となり、三等司教を拝命する。 |
1920年(大正9年) |
大阪府観心寺の国宝大随求菩薩像を五十余日かけて写す。 |
1927年(昭和2年) |
大和国大蔵寺にて亡くなる。 |
- 安曇野市 ゆかりの先人たち(HP)を参考に作成させて頂きました。