丸山貫長の遺作

丸山貫長 自刻像

 

 

 

 

 

奈良県宇陀市室生砥取(ととり)の
薬師堂の中に丸山貫長自身の塑像(土で造られている)自刻像がありました。

 

しかし、平成22年6月にお堂が焼失し
残念ながらこの自刻像はその火事で失いました。

 

この写真は平成5年に訪れた時のもので 今となっては大変貴重な一枚です。

 

 

丸山貫長 自刻像 (岡寺)

 

 

こちらも塑像の自刻像です。

 

もともとは奈良県室生寺にありましたが、
平成29年頃に奈良県の岡寺住職が引き取りました。

 

岡寺の住職  川俣 海淳(かいじゅん)氏は
丸山貫長の孫であり 私の従兄弟です。

 

川俣住職が引き取った際、奈良県国宝修理所にて修理をされ、
現在は岡寺にて大切に祀られています。

 

 

 

善如龍王之図像(ぜんにょりゅうおうのずぞう)

 

 

 

 

 

 

明治17年(1884年) 貫長和上(41歳) 室生寺住職の頃の木版です。

 

龍王図の下記には

『室生寺、及び仏隆寺より伝わってきた弘法大師筆の善如龍王図が長年の間
磨滅の危機にあることを後世に伝える為
再現し、壱千枚刷って世に出した』
と記されています。

『金剛子堅海』とは貫長の別号です。

 

 

 

※善如龍王(ぜんにょりゅうおう)

 

平安時代、干ばつがあり 空海(弘法大師)が天皇の勅命を受け 京都神泉苑に於いて雨乞いの祈祷を行った際
善如龍王が現れ 空が曇って雨となり、国中が潤ったと言われています。

 

また、五穀豊穣(穀物が豊かに実ること) 天下泰平(安定した治安、社会)の強力な神様でもあり
近年では松下幸之助氏が深く信仰されていたそうです。

 

 


裾から龍の尾がのぞく

 

弘法大師筆の善如龍王図は
冠をいただき唐服を着けた王族風の男性が、湧きあがる雲に乗る姿を描く。
左手には火焔宝珠を載せた皿を持つ。
その裾を見るとわずかに龍尾がのぞいており、空海と縁の深い善如龍王であると判明する。
「弘法大師と密教美術」より引用

 

 

五髻文殊菩薩(ごけいもんじゅぼさつ)像  (清水様 所蔵)

 

 

 

 

 

 

 

丸山貫長が80歳の頃(大正12年)に描いた作品です。

 

文殊菩薩は知恵の仏様で
「仏教は文殊様の知恵をもって母とする  文殊様は偉大である」
という意味の文と
梵字で「オンアラハシャナウ」と描かれています。

 

とても可愛らしい文殊菩薩で
生前親交のあった中畑様のお人柄と
貫長の温かい人格が滲み出ている作品です。

 

 

この掛け軸はホームページをご覧くださった清水啓子様(奈良県在住)が引き逢わせて下さいました。

 

亡くなったお父様の遺品を整理しておられたところ「丸山貫長」と書かれた古い掛け軸が出てきました。

 

その掛け軸は清水様の祖父、中畑重太郎氏が生前 大蔵寺にて丸山貫長から譲り受けたものであると想定されます。

 

中畑様は大蔵寺が大好きで、よく通っておられたとのこと、丸山貫長とも親交が深かったのだと思います。

 

「重要物」と書かれ、中畑様からお父様、そして清水様の手に渡り

 

古く痛みが激しかったその掛け軸を清水様が綺麗に表装をし、現在 大切に飾って下さっています。

 

わざわざご連絡下さり、ご夫婦で弥勒寺まで引き逢わせに来て下さいました。

 

 

 

こうして、まだ知りえない祖父の足跡を見つけられた喜びと
このご縁に感謝です。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

見つかった当時の掛け軸 2022年2月撮影

 

 

 

 

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