梵鐘の歴史
中興 素元和上によって延享元年、今から約270年前鋳造される
高さ1m6cm 口経71cm 重さ375kg(百貫)
延宝元年(1673年)
今から約341年前より明治20年頃まで風水害十数回に及び
水禍の難に被害を受けた人々の冥福を祈り「風雨順次 五穀豊穣 国豊民昌」を祈願し発願されたものである。
当時、梵鐘は記録によれば三度目の寛保二年(1742年)の大風水害の後に鋳造されたものという。
尚、昭和17年の太平洋戦争によって供出するも、当時の住職が県に免除願いを申し出る。
鐘の銘に郷土史関係の貴重な資料があり、史料の鐘として免除願いが叶い再び弥勒寺に戻る。
撞木がなかったため永く撞かれなかったが、茨城県の妙音寺様より 自動で鐘を撞く装置がご寄付され、現在では正午と夕方の六時に時を知らせる鐘が鳴り響くようになった。
又8月の平和の鐘や年末除夜の鐘を、近くの幼稚園児や近隣の方々が撞きに来てくれるようになる。
(幼稚園児達が平和の鐘をつく様子)
(子どもたちの姿を見守る住職)